2025年5月6日新聞朝刊の記事より。
石川県で約300教室を束ねている石川書研が集めたアンケート結果が掲載されていました。
それは自分の字に自信があるか?という設問の回答です。
「あんまりない」「まったくない」・・・計75.4%
「字を綺麗に書く機会がないからこそ大切だと思う」・・・78.7%
字を綺麗にかければよかったと思う時は祝儀袋や香典袋、芳名帳を書く時という回答でした。
書道界は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目指しているそうです。
かくいう、私も自分の字は嫌いです。ふにゃふにゃしてシャキッとかけないんです。
でも新聞に掲載されていましたが、字を書く機会はあんまりないんですね。
香典、御祝儀袋なんで人生で数える程度です。最近はこのブログのようにパソコンのキーボードです。またはスマホのフリックで字を書きます。
字がきれいじゃないって感じることはほんとうに少ないです。
社会人になって勤めていても文章はワープロ、パソコン。封書の宛名は宛名シールに印字。まあ、手書きするって紙ではなくホワイトボードに書いて考えを説明するときくらいなものでした。

自分しか見ない日記なんか、どんな字であろうが気にすることはありませんからね。
そもそも字が綺麗って、どんな基準なんでしょうか。
そもそも字が綺麗って、どんな基準なんでしょうか。誰が綺麗だと判断するんでしょうか。世の中を見渡すと看板、本の活字はすべて印刷物です。手書き風も中にはありますが・・・。
一見、綺麗で見やすい字はあんまり没個性のような気がします。
それよりも、相田みつをさんのような個性あふれる字が味がある字とされています。また、金澤明子さんの字も凄いです。書展を見ると私のような書道の素人はまったく何が書いてあるか読めません。

字が綺麗って?そもそもなんなんでしょう。
小学生の時、書道の授業で朱色の筆で丸印をつけられたり、貼り出されたりした人と、そうでない人で自分の字に自信が持てなくなったような気がしてならないんです。
均一で読みやすい字が綺麗なものとして幼いころに認識を受け付けられてしまっていたような気がしています。
綺麗に書けるということではそれに越したことはありませんが、そもそも字を書く機会を持つことが少ない現代社会です。
字を書くということは均一化していない自己表現だと思うんです。綺麗に書かないといけないという固定観念に縛られるのではなく、自己表現を楽しんで描かればいいと思うんです。
それには己書がピッタリと思っています。今は香典袋、御祝儀袋だけではなく書を書く機会は毎日あります。綺麗に書こうなんと全然思っていません、そんなことより何を表現しようと思っています。

絵も字も人間の手を使って描くもの、それは脳で考えた思考を手を使って表現することだと思うんですね。
人に何かを伝える手段として発達してきた文字。伝えやすいように読みやすい字は大切でしょう。しかし、そうでない場合、綺麗な字よりは自分が自分の思いを楽しく表現できるかが大事なような気がするんです。
何を描こうと迷うこともあるでしょう。私は己書は絵と文字で自己表現するものとして捉えています。絵は楽しく描ければいいし、水彩画でも水墨画でもいい、ただ、描く文字はポジティブ言葉を中心にしたいと思っています。ポジティブな言葉を描くと自分の目からも手を通しても情報が脳に伝わります。
描き終えたものは作品として目に見える所に置き、頻繁に視線をやることで言葉が思考に影響を与えます。すると気分、気持ちが上向きになっていくと私は思っています。

新聞記事を読んで感じたことを本日は書かせてもらいました。